弱法師 (当時、身体障害者のホームレスをこう呼んだ)
それはある早春の日の朝のことだった。眼前はるかに広がる海を眺めて、二人の弟子を伴った僧がつぶやいた。
「この広大な難波(なにわ)の海も、ついには彼(か)の岸に到るのだ。それが御仏の法というものなのだろう。」
彼は摂津(せっつ)の国、天王寺の住職である。さて、この程さる人よりこの住職に、御仏(みほとけ)に御祈願申し上げたいことがあるので、この彼岸の七日の間、天王寺の西門、石の鳥居の所で、大がかりな施行(せぎょう。施し)を催したいという依頼があった。
それを知って近隣の貴賤の人々が、群れをなして皆、施行を受けに来た。ことに今日はお中日だったので、日想観(じっそうかん。落日を心に観じ、極楽を観想する瞑想法。転じて天王寺の夕陽)を拝もうと、人々が群れ集まっていた。
住職は声を上げた。
「さあ皆様、施行でございます。お急ぎ下さい。」
人々はそれを聞き、われ先にと施主の元へ急いだ。
しばらくすると、そこへ二人連れがやってきた。先をゆくのはまだ若い女で、同じぐらいの年格好の若い男の手を引いている。若者の右手には一本の杖が握られており、その眼はずっと閉じられたままだった。
若者はつぶやいた。
「...出入りする月を見ないから、明け暮れの夜の境もわからない。」
娘はいたわるように青年の顔を見守った。
(あの難波の海のように底もなく深い私の心を、あなたは知っているかしら?)
若者はそっと考えた。
(あの海のように深い私の心を、君は知ってくれているのだろうか?)
水鳥のパートナーへの愛の深さは広く世に知られている。彼らはただ一人の相手と生涯を共にする。また、魚でさえも、仲良く夫婦で子育てをするものがいる。
オシドリのつがいは眠る時にも、立ち去る時の別れを思って悲しみに沈み、水底に伏すある種の魚は、互いを隔てる波を憂う。
ましてや一見知恵も心もあるかのような顔をしている人間――実際には物事を全て知性で割り切る事も出来ず、様々に思い煩い、うつろい迷う人の身と生まれ、憂わしい年月が流れては、生きる悲しみ苦しみを払拭するのは、およそ容易なことではない。
流れては
二人の仲を分け隔つ
吉野の川の
これが世の中、
――よし、ままよ、これが世の中と、そう間単にふっ切ることも出来ないでいる、思いに沈むこの心。
(ああ、恨めしい、前世で誰を厭(いと)い嫌った報いだろうか? 今また人の讒言(ざんげん。根も葉もない事を告げ口すること)により、親不孝者の罪に沈められ、思いの涙に目はかき雲り、盲目とさえ成り果てて、未だこの世にありながら、生きながらにして死の闇に迷っている...。)
いや、たとえそうでなくても、もともと心の闇はあったに違いない...。
伝え聞くあの唐の高僧、一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり。阿闍梨とは高僧の称号)の果羅(きゃら)への旅、月日の光も射さない闇の道を通っての流罪の道行きの時でさえ、無実の罪を憐れんだ諸仏の慈悲の光明が、煌々(こうこう)と行く末を照らし出して下さったという。
やがて、若者の耳にもはっきりと、寺に集った人々のざわめきが伝わってきた。
「神仏の教えが滅びた末法の世とは言いながら、さすが有名なこの寺では、今なお仏法は賑わっている。」
――その時、青年の杖が鳥居に触れてかすかに音を立てた。若者は顔を上げ、確かめるように杖で石柱を探った。
「...はるかな昔、インドの聖者に発し、中国、韓国を経てはるばる仏法が伝わり、平和を祈る聖徳太子その人によって最初に建立された尊い天王寺、その石の鳥居がこれなのだ...。
立ち寄ってお参りしよう。さあ、立ち寄ってお参りしていこう。」
娘はうなずき、若者の手を引いて歩き出した。若者も杖を突きながら、おぼつかない足取りで歩き出した。
頃は三月、ちょうど彼岸の中日で、まことにのどかな一時(ひととき)だった。良い日を得たと施行の主(あるじ)は、あまねく貴賤(きせん)の集う境内で、施行をなして人々に勧めていた。
そこへ二人がやってきた。人々のざわめきを聞いて若者が言った。
「本当にありがたい御利益(おんりやく)。一切分け隔てのない、全世界にあまねく無条件に注がれる慈悲、無償の情けだと、足の踏み場もないほど続々と人が群れ集まっている。」
それを見て施主(せしゅ)が言った。
「ここに出てきた乞食は、さては例の弱法師か?」
聞いて若者は、感情を害したように言った。
「ひどいことを、こんな乞食にあだ名を付けて、誰彼なく、『弱法師』とおっしゃるとは。」
けれどもそれも一瞬、若者はすぐに気を取り直し、
「...いや、確かにこの身は修行僧さながらの乞食だし、大海の盲亀(もうき)のようにその心には寄る辺もなく、足元も不確かな、車輪が片方取れてしまった車のような身でありながら、それでもこの人生をよろめき歩いているのだから、『弱法師』と名付けられるのももっともだ。」
この言葉に秘められた知性の輝きに、施主はハッとして若者を見直した。
「ほう、本当にただかりそめのお言葉までも、何だか意味深く思われるようですよ。
さあ、早く、早く施行をお受けなさい。」
若者は静かにうなずいた。
「それでは受けさせて頂きましょう。」
と、その時、若者はふいに顔を上げた。
「おや? ああ、これは素晴しい。花の香りが匂ってきますが、さてはこの花が散りかかっているんでしょうね。」
施主もうなずいた。
「ええ、この木陰の梅の花が、弱法師の袂(たもと)に散りかかっておりますよ。」
若者の顔に微笑が浮かんだ。
「ああ、つまらないお言葉だ、そんな説明は要りません。梅で名高いこの場所、難波の梅ならば、ただ『この花』とさえおっしゃれば良いものを。」
娘も言った。
「今は春もたけなわですね。」
若者はうなずいた。
「あの詩のように、梅の花を折って頭に挿しはしないけれども、三月の雪は衣に落ちる」
そして二人は、異口同音につぶやいた。
「ああ、なんて良い匂いだろう。」
これを聞いて、施主は微笑みながら言った。
「本当に優雅な御言葉です。本当に、この花を袖に受けるなら、花もさながら施行のようですよ。」
若者は頷(うなづ)いた。
「その通りです。草も木も大地も、ことごとく皆、恵みを与え施行してくれています。」
施主はかすかな寂しさと後悔をそのまなざしに浮かべてうなずいた。
「御仏は、不幸な人々を憐れみ施行をすれば、その功徳によって、皆、成仏するとおっしゃいました。だから皆、御仏の大慈悲に、」
「あやかろうと施行に連なって、」
「手を合わせ、」
「袖を広げて、」
若者は袖を差し出した。施主はそこに、施行の米を入れてやった。
このように袖を広げて、花をさえ受ける色々の施行、その場に匂い来る色とりどりの梅の香り、また、花に飾られた文字どおりの梅衣は、まさしく晴れ着そのもので、本当に季節は春なのだ。
この春の難波で、あるいはこの人の世で、どんなことが御仏の法に適わぬというのだろう。遊び戯れ舞い歌うのも、畢竟(ひっきょう)仏の法の現われなのだ。愚かで未熟な人々も、遊び戯れ舞い歌う者達も、すべての人々を救おうとの、御仏の誓いの網には洩れはしまい。この難波の海、いや、どんな人生の苦海に生きようとも、それを思えば頼もしい限りだ。
本当に、大海の盲亀のような我等まで見る心地がする、梅の枝に咲く花の春。この花の春ののどかさも、梅の難波にふさわしく、また、いかなる仏の御法(みのり)にも、よもや違いはしないだろう。たとえ盲目の人生を歩む我らでも、仏の救い、恵みには、決して洩れはしないだろう...。
二人は施主に深々と一礼すると施行の列を離れた。施主は、どこか若者に心惹かれるものを感じたが、ゆっくりする暇もなく、群がり集う人々に、また黙々と施行の品を施し始めた。
やがて日は西に傾いた。人々は皆、手を合わせ、沈む夕陽を拝み出した。
それを見て娘は若者に言った。
「もし、今が日想観に一番だと、人が皆拝んでいます。」
若者は頷いた。
「本当に、日想観の時刻だな。けれども盲目だから君だけが頼りだよ」と、娘の声を頼りにして、当て推量に心の希望の日に向かい、そちらだろうと手を合わせば、娘もまた、同じく希望の日に向かう。若者はつぶやいた。
「東門を拝もう、南無阿弥陀仏、」
聞きとがめた娘が声をかけた。
「まあ、東門だなんてわからないことを、ここは西門の石鳥居です。」
振り向きもせず合掌したまま、苛立ったように若者は答えた。
「ああ、馬鹿だな、天王寺の西門に出て、極楽の東門に向かうのが間違いかい?」
(ああ、この人の心には、もうこの世では希望がないんだわ)
娘の目に涙が浮かんだ。潤んだ目をして娘は頷いた。
「本当に、ここは難波の寺の、」
「西門に出る石の鳥居の、」
「生まれてくることが全ての始まり、
――それを表わす阿字門(あじもん。この世の出入り口。寺の門はその象徴)に入って、」
「この世の人生の阿字門を出るならば」
「そこにあるのは阿弥陀の御国、その極楽の東門に、」
「向かう難波の西の海では、入り日の影も舞うという。」
若者は輝くような歓喜の表情を浮かべ、喜びの声を上げた。
「ああ、素晴しい、何と尊(とうと)いことだろう。私は盲目の身だから、この絶景を拝めまいと、人はさぞかし笑うだろうが、古人の中にも視力を失いながら、法力をもって山河大地を見た人がいる。
ましてや未だ盲目になっていない時には、ここは私が常に見慣れた場所だから、何も疑う余地はない、
難波の海の海原を、
月は照らし松風は吹く、
永き夜の清き今宵――
この清らかな夜がどんな作為や努力をし、
何をあくせく思い煩っているだろう?
ただあるがままだ...。
あるがままでこんなにも世界は美しい。
あるがままで全てが祝福され、
あるがままで全てが愛されている。
この清らかな夜がどんなに永かろうと、
そんなものは何ほどのものでもない...。」
若者はまるで見えるかのように、西を向いたままつぶやいた。
「住吉の、...
住吉の
松の陰より眺めれば
月落ちかかる
淡路島山...、
――そう詠まれたのは月影だった。眺めたのは月影、...今は入り日が、落ちかかっているのだろう。
日想観を心に見ているのだから、曇りもなく見えるのだ。
波の淡路、...絵島、...須磨、明石、はるかな紀の海までも、見えた、見えた!
目に映るいかなる景色も風景も、一切の森羅万象も、全ては心の中にある。」
若者はすっかり我を忘れて叫んでいた。
「おう、見ているぞ、私は見ているぞ!」
「さて、難波の海の絶景の数々は、
南はさすがと人の言う、夕月の住吉の松原。
東の方は時を得て、春の緑の草香山(くさかやま)。
北はどこが? 難波にある、長柄の橋の、...」
心に映った景色を追って、いたずらにあちらこちらと歩くうちに、盲目の悲しさは、次から次へと貴賤の人に突き当たり、よろけ倒れてはまたふらふらと漂って、難波に茂る葦(あし)さながらに、足元はよろよろとして、
「本当に、まったくこれはよろよろ法師(ぼうし)、弱法師(よろぼし)だよ」と、人々は嘲笑っている。
若者はハッと我に返り、
「人は私を笑うのだ。思えば恥ずかしいことだ、今はもう狂うまい。今からは決して狂うまい...。」と、そのままその場に座り込んでしまった。
やがて日が沈み、あたりはすっかり暗くなった。施主は最後の一人に施行を終えると、ふーっと深く息をした。
「今はもう、夜も更け人も静まった。」
見れば、あの二人はまだそのあたりに座っていた。施主は何とはなしに立ち上がり、すぐ側まで歩いてゆくと、何気なく声をかけた。
「一体あなたは、どのような素性の人でしょうか、お名前をお聞かせ下さいませんか?」
若者も娘も、いぶかしげに答えた。
「これは思いがけないこと、一体どこのどちら様が、私共の過去を尋ねて下さるのでしょう。」
二人は異口同音に答えた。
「私は、」
「この人は、」
「高安(たかやす)の里におりました、俊徳丸(しゅんとくまる)の成れの果てです。」
信じられないといった表情の一瞬後(あと)に、施主の顔が歓びに輝いた。
「ああ、何と嬉しいことだろう! 私こそは、父、高安の通俊(みちとし)だよ。」
「えっ、通俊は私の父の、... その御声は!――」 と、声を聞くなり若者は、思わず胸が踊り呆然として、
「これは夢か」と俊徳丸は、親ながら恥ずかしくて、あらぬ方へと逃げたので、父は追い付き手を引いて、後悔と歓喜の涙ながらに、
「何を隠すことがあるだろう」と、
「難波寺の、鐘の声も夜(よる)を告げている、この夜に紛れて、明けない先に」と、二人の者を誘って、高安の里に帰っていった。高安の里へ帰っていったのだった。

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