俊寛 ―法皇―
(釈迦? 釈迦などしょせん一日一度の残飯で生き永らえた一介の乞食坊主に過ぎん。
私を見よ。何千人もの僧侶にかしずかれ、宗教界の全権を掌握し、富も女も、武力も神仏の権威も全て手にしている。あの男ごときが覚者であり仏だと言うのなら、私は既に神も仏も超えたのだ。
いや、私の力はまだまだこんなものではない。機は熟した。これから私は、政治的支配権も軍事的実権も、地上の全てをこの手に握ってやる。)
豪奢な衣装に身を包んだ僧形の青年は、壮麗な寺院の奥でぎらぎらした野望にふけりながら、込み上げてくる思いににやりと口元をゆがめた。
頃は平安末期、世に隆盛を誇る平家の太政大臣、平清盛打倒を狙う一派があった。首謀者はこの三十四歳の青年、僧都(寺務職の最高権力にある僧)俊寛、彼と共に鹿ヶ谷(ししがたに)での謀議に席を連ねたのが、丹波守右近衛少将(たんばのかみ うこんえのしょうしょう。注 朝廷警護の要職)藤原成経(ふじわらのなりつね)と、検非違使尉(けびいしのじょう 注 治安維持の要職)平康頼(たいらのやすより)であったが、密告によりこのクーデターの計画は事前に発覚し、三人は鹿児島沖に浮かぶ絶海の孤島、鬼界ヶ島に流罪になった。
ところがその翌年、清盛の娘、天皇の正妻である中宮徳子(ちゅうぐうとくこ)が懐妊した。喜んだ清盛は、娘の安産を願って大赦令を発し、諸国の流刑囚が赦免されることになった。
このようないきさつで鬼界ヶ島へも、清盛の命を受けた使者が向かうこととなったのである。
さて、それでは当の三人は一体どうしていただろう?
当時、鬼界ヶ島には活火山があり、風向きによっては硫黄(いおう)の臭気が訪れた者の鼻を突き、また硫黄が採れたこともあって、別名「硫黄島」とも呼ばれ、火山島特有の荒涼たる風景が広がっていた。
その中でじっと目を凝らしてみると、髪も髭も伸び放題、着物もすっかり煤けて黒ずんだ二つの人影がうごめき、何事かつぶやいているのだった。
「...たとえこんな硫黄島でも、神を信じる者ならば、神にかけた願いなら、きっと叶えられるに違いない。」
この二人は鬼界ヶ島の流人のうち、丹波の少将成経、平判官康頼の成れの果てだった。
彼らはかつて都にあった時、三十三度の熊野詣でを発願(ほつがん)したが、その半ばにも達せぬままこうして流罪の身となったので、その発願も空しくなってしまった。
あまりに心残りだったので、二人はせめてもの事にと、この島に熊野三山の神々をお祭りし、都から始めて道中の九十九カ所目の王子の社まで、ことごとく巡礼の社をしつらえた。
「心がこもっていれば、これも熊野道中九十九カ所のお社とも何も変わりない」と、一つ一つ丁寧に巡礼し、浦の浜木綿さながらにしおれてしまった着た切りの麻衣を、ただそのまま神に参拝する白衣(びゃくえ)と見、真砂(まさご)を取ってお清めの散米(さんまい)とし、あたりに咲いた白い浜木綿の花を清らかな御幣(ごへい)に見立てて禊ぎして、神に歩みを運んでいた。
しばらくすると山の麓から、同じような姿の男がもう一人現れた。手には桶らしきものを携えている。男の目には暗い荒んだ影が宿っていた。
「死後の世界を待つまでもない。この世の幽界鬼界ヶ島の島守と成り果てて、暗い世界から、さらに暗い道へと入り込んでしまったのだ...。」
男はまだ三十半ばだったが、年よりずっと老けて見えた。
「煌めく月の兎も、昼は雲陰に隠れて眠り
輝く日輪の鶏も、夜は朽ちた枝に宿る
見渡せど何処にも光なく
晩秋のヒグラシは枯木(こぼく)を抱き
鳴き尽くして頭(こうべ)を巡らさず
闇の中でそのまま息絶える
――ああ、これこそ我が身の有様だ...。」
その気配に気付いて康頼が降り向いた。
「あれは俊寛だろうか?...」
これまでは、二人が救いを求めて神に祈る度毎に、嘲るように俊寛は言ったものだった。
「愚かな。神仏など人間を助けてはくれませんぞ。そんなものは人間の生み出した妄想だ。」
そしてただの一度も神に祈らず、手を合わせる事すらしなかった。あれほど神仏を嘲っていた人が、どうしてまた今になってといぶかりながら、康頼は近付いてきた俊寛に声を掛けた。
「こんな所まで何のためにおいでになりましたか?」
すると男はニヤニヤしながら手にした桶を差し出し、からかうように言った。
「もう見付かってしまいましたか?
巡礼の方々をねぎらうために、一つ酒を持って参りました。」
康頼は怪訝(けげん)な顔をした。
「何、酒だって? 草木も乏しいこの島に酒などあるはずが?」と、近寄ってなめてみると、
「おや、これは水だ。」
康頼は不思議そうに俊寛の顔を見た。まじめくさって俊寛は答えた。
「御言葉ですが、元来酒というものは、もともと『薬の水』ですから、これだってどうしてどうして、美酒といえないこともありますまい。」
これを聞いて成経も康頼も、互いに顔を見合わせて笑った。
「おお、なるほどこれはもっともだ。今は九月、」
俊寛もうなずいた。
「時は菊酒を酌み交わす、九月九日重陽(ちょうよう)の節句の日。」
「所は山路、」
「汲むは谷の水。
菊の露を飲んだ中国の仙人彭祖(ほうそ)が七百歳まで生きながらえたのも、谷より深い己が心を汲み得たからだった。そしてこれも、それと同じく深谷の水。」
そうつぶやいて俊寛は二人に桶を差し出した。二人はかわるがわる木の葉を丸めた盃を差し出し、俊寛はそれに水を注いだ。二人は一息に飲み干した。
「ああ、うまい! 確かに薬の水と聞いた通りだ。身体中に染み渡るようだ。」
本当に、こうした折りに飲む水のうまさは心の底まで染み通るかのようで、かつて彭祖が飲んだ水、またその時の想いを彷彿とさせるようだった。
そんな二人とは裏腹に、俊寛は一人思いに沈んでいた。
(誰にこの私の心の底がわかるだろう? 山路の菊に宿る露は、濡れたと思う間もなく乾いてしまう。人も住まない仙境では、そんなわずかな間に千年の歳月が過ぎ去ったということだが、同じように私にも、既に千年を経た心地がする...。)
三人はてんでに腰を下ろした。俊寛はあたりの景色を眺めて嘆息した。
(配所暮らしはいつまで続くのか?
春が過ぎ夏もたけなわとなり、また秋が暮れ冬が来たと知らせてくれるのも、ただ移りゆく草木の色だけだ。
ああ、恋しい昔よ。思い出は何につけても懐かしい...。)
俊寛はじっと物思いにふけっていた。
(ああ、都に居た時には、法勝寺の執行として、四、五百人もの僧にかしずかれ、神々の王、帝釈天(たいしゃくてん。注 インドの神、インドラ)の住む、極楽の喜見城(きけんじょう)さながら、春の花さながらの華やかさだったのに、今はいつしかそれに引き替えて、天人の五衰、凋落の秋の有様だ。)
男はじっと手にした木の葉を見た。
(落ち葉の盃、飲む酒は谷の水、涙もまた川と流れるが、その源は他ならぬこの私、身から出た錆なのだ。思いに沈む今、それはもう我が身の終わりだろうか?)
そんな思いを振り払うかのように、俊寛は寂しく頭を振って考えた。
(いや、こうして物思いに沈むのも、これでもう終わりにしよう...)
さて、こうしている間に都からの早舟は、折よく思う存分追い風を受け、飛ぶように海原を走り、舟人達もたいそう勇み立ち、ほどなく鬼界ヶ島に到着した。
使者は荒れ果てた島に降り立った。ほどなく彼は三つの人影に目を止めて、近寄りながら呼びかけた。
「もーし、この島に流された方はおいでになりますか? 都より赦免状を持って参りました! 早く御覧なさい!」
これを聞いた三人の驚きと喜びはいかばかりのものであったろう? 三人は言葉もなく顔を見合わせると、走るのももどかしく使者の元へ急いだ。
三人を代表して俊寛は、はやる心を抑え、落ち着いた様子で使者の前に進み出た。使者は赦免の書状を差し出し、俊寛は丁重に会釈すると、拝むようにして書状を受け取った。
「ああ、ありがとうございます。」
それから康頼の方を向き、その書状を差し出して鷹揚(おうよう)に言った。
「さあ康頼、早く御覧なさい。」
それから自分は落ち着き払い、その場に座って腕を組んだ。
康頼は書状を受け取ると、急いで広げ読み上げた。
「なになに、
『中宮の安産祈願のため特例の大赦を施行し、国々の流人を赦免する。中でも鬼界ヶ島の流刑人の内、丹波の少将成経、平の判官康頼二名を赦免するものとする』...」
これを聞き咎めた俊寛は、不機嫌そうに眉をひそめて、じろりと康頼をにらんだ。
「なぜ俊寛の名を読み落とされるのか?」
康頼は俊寛と書状をかわるがわる見比べながら、言いにくそうに答えた。
「御名前がございませんので...。
赦免状の表を御覧下さい。」
まさかといった表情で書状を受け取ると、俊寛は丁寧に書面に目を通し、どうにも納得いかない顔付きでつぶやいた。
「さては筆者の誤りか?」
これを聞いて使者は首を振った。
「いや、私が都で承りましたのも、
『康頼、成経二人は連れ帰れ、俊寛一人をこの島に残せ』とのことでした。」
これを聞いた俊寛の顔からは、見る見るうちに血の気が引いていった。
「これはどうしたことだ? 罪も同じ罪、配所も同じ配所、特例も同じ大赦なのに、ただ一人救いの網に漏れ、沈み果ててしまおうとはなんということか!」
あまりのことに俊寛は、絶望のあまりよろよろと膝を付き、わなわなと震えながらくずおれそうになる所を、かろうじて両手で身体を支えた。
「これまで三人一緒に居た時でさえ、こんなにも恐ろしい荒れ果てた荒磯島に、ただ一人引き離され、海人の捨てた海草が波の藻屑と漂うように、寄る辺もなく生きられるものだろうか? あんまりだ!...」
嘆いてももう仕方のないことだったが、渚の千鳥さながらに、ただ泣くばかりの有様だった。泣きながら俊寛は言った。
「時を感じては花さえも涙を注ぎ
別れを惜しんでは鳥さえ心を動かすもの――
もとよりこの島は、鬼界ヶ島と聞く通り鬼の住む場所。この世においても既に死の世界なのだ。たとえいかなる鬼であろうと、この哀しみにどうして無関心でいられるだろう? 天地を動かし、鬼神が心を動かすのも、人の悲哀であるはずなのに...」
山から鳥の声がした。俊寛はもはや言葉もなく、ただぼんやりと考えた。
(この島の鳥や獣も、泣いて私を慰めてくれるのか...)
「せめて」と思うあまりだろうか、俊寛は先ほど読んだ書状をまた引き開き、同じ書面を繰り返し繰り返し、見れども見れども、ただ「成経、康頼」と書いた名があるばかり...。
「もしかしたら、礼紙(書状を包む紙)にあるかも」と、巻き返して見てみたが、僧都とも俊寛とも、書かれた文字はさらにない。俊寛はぶるぶる震えだした。
「これは夢か?...もしも夢ならば、...覚めよ! 覚めよ!」と、すっかり正気を失って狂ったように叫ぶ俊寛の有様は、全く見るも哀れだった。
そんな俊寛を尻目に、すげなく使者は言った。
「帰る時刻が過ぎては困る。成経、康頼のお二人は、お早く舟にお乗りなさいませ。」
これではならぬということなので、よその嘆きは振り捨てて、二人は舟に乗ろうとする。
「私も乗る!」と絶叫しながら、僧都も舟に乗ろうとして、狂気のように康頼の袂にすがりついたので、都の使者は俊寛に、
「僧都は舟に乗ってはならん!」と、声を荒げて怒鳴り付ける。
「ああ、そんなひどいことを、『公(おおやけ)のことにも私(わたくし)の情』ということがありますから、せめて向かいの土地までなりと、どうかお情けに乗せて下さいませ!」と懇願したが、情け知らずの船人達は、櫓櫂(ろかい)を振り上げ打とうとする。
俊寛もさすがに命が惜しいので、また引き返しそれならと、出ようとする舟の艫綱(ともづな)に、なりふり構わず取り付き引き止めようとする。けれども舟人達は一向構わず、強引に艫綱を押し切って、舟を深みに押し出した。
こうなってはもはやどうすることも出来ずに、どうしようもなく波に揺られながら、ただ手を合わせて声を限りに、
「舟よ! おーい、舟よ!」と絶叫するが、誰一人乗せようとはしないので、力及ばず俊寛は、ずぶ濡れのままもとの渚にひれ伏して、
「夫を戦場に失った松浦佐用姫(さよひめ)の哀しみも、私にはよもや及ぶまい!」と、声を張り上げ号泣した。
舟に乗った二人の者も、都からの使者までも、この俊寛の有様に、
「なんというお気の毒なことだろう...」と異口同音に、
「我らが都に上ったならば、良いようにおとりなし申し上げますから、じきに帰郷できるでしょう! お心強くお待ちなさいませ!」と、力一杯呼びかけた。
「帰郷の時を待て」と呼ぶ声も、やがてかすかになってしまったが、かすかな希望を心待ちにして、俊寛は松の陰から身を起こし、泣くのを止めて聞いていた。
「聞こえますか?」と夕波の中、皆口々に俊寛に呼び掛ける。
「皆で俊寛を!――」
俊寛は身じろぎ一つせず、食い入るようにそちらを見ながら、声を限りに呼び返す。
「とりなし申し上げればじきに?」
すると舟から声がした。
「――必ず帰郷出来るでしょう!」
俊寛は松につかまりながら、あらん限りの声を上げた。
「それは本当か!」
「...もちろんです」
「頼むぞ、頼りにしているぞ!」
波に混じって声がした。
「頼りにして待てよ...待てよ...」と言う声も姿も、次第に遠ざかる沖の波にかき消され、やがてかすかな声も途絶えて、舟影も人影も、はるかに消えて見えなくなった。
今となっては声もなく、ただ一人松にもたれて、いつまでも見送る俊寛を残したまま、もはや跡形もなく消え去って、すっかり見えなくなってしまった...。
鬼界ヶ島は別名、硫黄島とも呼ばれており、火山島である。溶岩は硫黄を含むため、火山地帯や温泉には、二酸化硫黄のような刺激性の火山ガスや、湯の華と呼ばれる硫黄化合物が多い。
取り残された俊寛も、体力がある内には山に登って硫黄を採り、商人と物々交換していたという記載がある。
平家物語より抜粋。付き人だった若者、有王と俊寛。प्रज्ञापारमिताहृदयPrajñā-pāramitā-hṛdaya
プラジュニャーパーラミター・フリダヤ
(仏説)摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。
故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
(三蔵法師玄奘訳)
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
観音菩薩が、深遠な知恵を完成するための実践をされている時、
照見五蘊皆空、度一切苦厄
人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、すべての苦しみを取り除かれた。
舎利子、色不異空、空不異色
舎利子よ、形あるものには実体がなく、実体がない事こそが形ある物の本質である。
色即是空、空即是色
形あるものは実体なきものであり、実体がない物が形ある物だ。
受想行識、亦復如是
感受、表想、意思、識別という心の機能も、まったく是と同じである。
舎利子、是諸法空想、
舎利子よ、この世の中のあらゆる存在や現象には実体がないという性質があるから、
不生不滅、不垢不浄、不増不減
生じる事もなく滅する事もなく、よごれたものでもなく浄らかなものでもなく、増えることも減ることもない。
是故空中無色、無受想行識
是故に実体がない存在の中には形あるものはなく、感覚も想念も意志も識別作用もなく、
無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法
眼・耳・鼻・舌・身体・心もなく、形・音・香・味・触覚・心の対象もなく、
無眼界乃至無意識界
視認から意識の世界もない。
無無明、亦無無明尽
無知もなく、また無知が尽きることもない、
乃至無老死、亦無老死尽
ついには老と死もなく、また老と死が尽きる事もない。
無苦集滅道、無知亦無得
苦しみも、その原因も、それをなくすことも、その方法もなく、知ることもなければ、得ることもない。
以無所得故、菩提薩垂、依般若波羅蜜多
得ることがないのだから、悟りを求める者は、知恵の完成に住する。
故心無圭礙、無圭礙故無有恐怖、
故に心に何のさまたげもなく、さまたげがないから恐れがなく、
遠離一切転倒夢想、究境涅槃
一切の妄想や先入観、誤った考えから遠く離れているので、永遠にしずかな境地に安住する。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
過去・現在・未来にわたる諸々の覚者達は、無上の知恵を完成することにより、最高の悟りを得る。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪
故に知れ、知恵の完成こそが、偉大な真言であり、悟りのための真言であり、この上なき真言であり、
是無等等呪
比較するものがない真言なのである。
能除一切苦、真実不虚
あらゆる苦しみを除く事が出来、真実であり虚妄でない。
故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰
故に知恵の完成の真言を説こう、すなわち真言を説いて言おう、
羯帝、羯帝、波羅羯帝、波羅僧羯帝
往け、往け、覚りの彼岸に往け、完全に彼岸に到達した者よ往け。
菩提、僧莎訶
悟りよ、幸あれ。
般若心経
知恵の完成した心を説く経典
鳩摩羅什こと、クーマラジーヴァ三蔵法師玄奘
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